三方一両損

江戸っ子が一人道を歩いていると、財布を拾います。中を見ると三両という金と書類と印鑑が出てきた。この男は江戸っ子の竹を割ったような気性でして、ねこばばするような人間じゃない。中の書類を見てね、落し主がわかりましたから届けますよ。そんな拾い主もまた江戸っ子気質です。この辺が今の人間と道徳観が違うところでね。人様のものは届けるのが当たり前の気質なんですね。
「出世なんかして棟梁なんかになりたくない」というのが、拾い主の了見ですよ。届に行ったのはいいのですが、落し主も江戸っ子でね。確かに自分の財布だけれど書類と印鑑は受け取るけど、金は自分のものじゃないからもって返れと主張する。受け取れ、もらえないで、口論となってね、とうとう大家が仲裁に入った。仲裁するにしても、どちらも金を受け取らないわけですから、収拾がつきません。仕方が無いので奉行所に裁定を願い出ます。

ここで登場するのが、大岡越前ですよ。落語のほうはなんか事件だと奉行所では大岡越前がでてくる。本来はこのような小事は越前が出張るまでも無いのですが、出てくるものはしょうがないですね。大岡越前と言えば名裁きですからねぇ。どんな裁きになるのかがこの落語の見せ場です。

「両名の正直さには感心をした。このような店子を住まわせる大家達もほめてつかわす。この三両の金に越前の懐から一両足して両名に二両づつわけることとする。この裁きを三方一両損と申す。落したものもも拾ったものもそのまま受け取れば三両となったものを一両づつ損をし越前も同じく一両損をした。稀にみる正直者に膳を与えよ」

というような裁定でした。

三人がそれぞれ一両づつ損をしたから三方一両損だというのですね。